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予告編

解説

しかたないね、誰だってヘンタイでしょ!
脚本・監督処女作「お姉ちゃん、弟といく」で2008年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門審査員特別賞受賞。 授賞式直前に、若年性脳梗塞で倒れた吉田浩太監督復帰第一作が「ユリ子のアロマ」。性なる勘違いによる絶妙な寸止めエッチの連射はとまらないものの、本作で、エッチでかわいくてさわやかな三十路女の青春の旅立ちがはじまる。

心と体を解放!吉田浩太監督復帰第一作。 復帰第一作の主演は、もちろん「お姉ちゃん〜」でコンビを組んだ江口のりこ(同作でCO2主演女優賞)。冨永昌敬監督「パンドラの匣」の主役に抜擢されて大注目の染谷将太、一般映画とAVを自在に行き来する原紗央莉、さらにベテラン美保純をむかえて、エロスとユーモラスを融合させたエロモラス・ムービーが誕生した。

物語

どうしようもなく惹かれてしまうものって・・・・
素敵な香りとやさしい手指の技で疲れた身体を癒すアロマセラピストのアラサー女・ユリ子(江口のりこ)は、誰にも言えない秘密を持つことになる。やりたい盛りの17歳男子高校生、徹也(染谷将太)のすえた汗の匂いにどうしようもなく惹かれていく…。よりによってアロマサロンのオーナー(美保純)の甥っ子。一方、指名客のアヤメ(原紗央莉)が、アロマのレッスンをしてほしいと、大きな胸をユリ子に押しつけてくる…。

監督コメント

大学を中退し、自主で作った作品が次々と評価を受け、仕事も徐々に評価をされはじめた。結婚して子供もいる、一般人としても申し分ない。 吉田浩太
しかし、20代の後半、若年性脳梗塞と脳動脈瘤をダブル発症。しばらくの間、病院のベッドで、ただただ横になって日々を過ごしました。生活するためのものが何もない部屋に、何ひとつできないことを、自分自身が納得しないとやっていけない毎日。いまや自分のことで精一杯とも言いがたいのに精一杯な自分。自分という存在が分からなくなっていき、終いには、何者でもないという感覚におちていきます。監督!と呼びかけられていた、女房子供を養っていると自負していた、自分がスゴいと思っていた。スゴい自分て何者だ。それって何だ。
手術が成功した後の猛烈な頭痛もどうにかやり過ごし、長期間に及ぶリハビリを経て、家に戻ると家族がいる。しかし、気負っていたころ目に映っていた風景とは何かしら違って見えていることには気づいていました。すくっと子供と同じように立っている自分。精算される感覚。
たいへんなことを経過して生きていくという道がある。しなくてもいいけれど、そういう方法もある。いままでと違う、でも同じように、いまここからまた生きていく。「ユリ子のアロマ」には、そんな僕の感じたものがそのまま投影されています。しかし、ユリ子は明らかに僕よりまさっています。ユリ子には自ら精算しに行くという二段階の精算を課しました。そんな衝動を持てたらいいなという見果てぬ希望を込めてです。

製作ノート

01吉田浩太は「ユリ子〜」の徹也と同様に剣道少年だった。三段。高校東京都大会で三位入賞の実績も残している。その剣道少年が、2000年早稲田大学入学と同時に稲門シナリオ研究会という映画系サークルに入り、同時に映画専門学校ENBUゼミナールに入学、篠原哲雄、豊島圭介監督の指導を受ける。講師であった篠原哲雄氏の紹介で、映画制作現場で助監督をすることになる。単なる映画好き、剣道少年が映画への道を歩み始める。

02映画的環境のなか、吉田は自分の作品を撮りたくなった。「僕は童貞を捨てるのが遅くて、セックスに過剰な幻想みたいなものがあって・・・」。02年初監督作品を自主制作。性に疎い家出少年が、東京でホテトル嬢に拾われ、育てられ、やがてヒモになっていく「落花生」。吉田は、早稲田大学を中退し、ENBUゼミに通いつつ、豊島監督の所属する映像制作会社シャイカーに出入りするようになる。

03そんな吉田に恋人が出来た。ある日、上野のラブホテルに行ってセックスするが、どうもいつもと乱れ方が違う。事後、恋人が動物園で告白する。「わたし、妊娠したの」。その顛末を映画にしたのが「象のなみだ」、ENBUゼミの仲間たちをスタッフに(撮影だけは助監督アルバイトで知り合い、以後コンビを組むことになる南秋寿)、主演の恋人役を早稲田時代の友人に頼んで出演してもらった。そうした一方、実生活では恋人の妊娠を機に結婚し、妻子を養うため、シャイカーの社員となって働き始める。

04シャイカーの社員として、助監督やADの仕事をこなしながら、吉田は次回監督作を制作する機会をうかがっていたが、CO2(シネアスト・オーガニゼーション・大阪エキシビジョン実行委員会)が優秀な自主映画制作企画に助成金を提供することを知り、応募することに。その応募企画が「お姉ちゃん、弟といく」。必須添付の実績作品として「象のなみだ」を添付するが、この処女作に高い評価が集まり、「お姉ちゃん〜」は助成対象作品に見事選出される。だが、助成金だけでは制作費に足りない。吉田が所属するシャイカーが補填してくれた。

05問題は主演女優探しである。「お姉ちゃん〜」のテーマは女性の不可解な性意識。まだまだ無名の若造が持ち込む、近親相姦や下着フェチを扱った脚本の、チラリズムや半裸に近い状態での撮影を引き受けてくれる女優は果たして見つかるだろうか。 しかも、吉田が思い描くヒロイン像を引き出す力量のある女優がいるのだろうか。タナダユキ監督「月とチェリー」に主演していた江口のりこに感動した吉田は、ダメもとで、江口に出演を依頼した。

06「江口さんは、色気がありながら、嫌らしさがなく、他の人に代えがたい独特な存在感の持ち主。『お姉ちゃん〜』が近親相姦的なテーマにかかわらず、下品にならず、おかしくて切ない映画になったのは、ひとえに江口さんのおかげと思います。実は、完成した映画が、けっこう笑える映画になっていたのは僕的には計算違いの部分もあって、もっとシリアスな感じを狙っていたんです。でも、この作品でエロが笑いと紙一重なところにあるんだと勉強させられましたし、また、こういったどこか笑える真面目なエロテイストが自分独自の作風になるのではないかと思うようになりました」。江口のりこは、口数少なくひとこと「面白かった」と言っただけだったが、この作品で江口はC02の主演女優賞を受賞。

07休止していたゆうばり国際ファンタスティック映画祭が復活。「お姉ちゃん〜」はコンペティション部門正式出品されることが決まった。「ゆうばりに行ける」! ゆうばりファンタの開催を目前にした2008年1月、突然のアクシデントが吉田を襲う。篠原哲雄組の助監督として働いていた吉田は、現場で激しいめまいと耳鳴りに襲われる。仕事どころか、立ってすらいられない。救急車で東京医科大学病院に運ばれた吉田に下された診断は若年性脳梗塞!!29歳の脳梗塞。さらにMRI検査で判明したのが脳動脈瘤。破裂すればくも膜下出血を引き起こし、命を奪う爆弾。選択の余地はなかった。死の恐怖を感じている暇もなかった。緊急手術! 全身麻酔で、吉田の頭蓋が切開された。12時間にも及ぶ大手術のすえ、吉田は無事生還する。手術は成功した。

08生還した吉田だが、鬱々とした日々が続くことになる。脳梗塞の後遺症によるめまいや激しい頭痛と戦いながらのリハビリ・・・・。頭がぽーっとして働かず、気絶しそうに意識が遠のく。「俺はもうダメかな、映画は撮れないだろうな」と諦めが先行する。それでも体調が少しずつ回復すると本を読んだり映画を見たり、家事を担当したりしながら、吉田は復帰に向けて、地元、墨田区押上地区で建設が進んでいる東京スカイツリーをモチーフにした下町人情物語の脚本を書き始める。

09およそ1年のリハビリで仕事への復帰が見えて来た08年暮れ、「ユリ子〜」でラインプロデューサーをつとめる廣田孝とともに、吉田はその脚本を持って、製作・配給を担当することになるゼアリズエンタープライズを訪れる。しかし持ち込んだ脚本は却下。吉田復帰第一作となるのなら、「象のなみだ」「お姉ちゃん〜」にあるの吉田の持ち味ーエロくてオカしいーを活かしたものがいいだろう、ということになった。09年に入り、シャイカーに復職した吉田は、テレビの仕事をしつつ、脚本の試行錯誤をはじめる。

10エロ+ユーモラス=エロモラス。「剣道をやっているころ、女性の篭手の匂いを嗅いで感じている友人がいた」ことを吉田は思い出した。エピソードの性別を逆転させ、汗臭くてたまらない悪臭としかいいようのない若い男子の匂いにエロのスイッチが入ってしまう女性の話。ヒロインは匂いに敏感な、香りのプロ、アロマセラピストがいいだろう。しかし、吉田はそんな感性を持ち合わせてはいなかった。いくつものアロマサロンを取材し、セラピストに話を聞き・・・・何度も書き直し、脚本を完成させた。2009年5月だった。

11主演のアロマセラピスト、ユリ子は、「お姉ちゃん〜」にも出演してもらった、大好きな江口のりこを想定して書いた。当時より忙しさを増していた江口だが、吉田復帰作ならと出演を快諾。頭の中が「やりたい!」だけだった自分の高校時代を映したような剣道少年、徹也は吉田の分身。若かったころの自分を見ているような俳優、染谷将太に出てもらえればと考えた。原紗央莉が決まり、ベテラン美保純も出演を快諾してくれた。

12企画や脚本はプロが口を出す。しかし現場は、吉田が自然に力を発揮できるように自主映画スタイルでいくことにした。エロモラス・ムービーというビジネス的観点と吉田浩太復帰作を応援しようという気運で、各社の出資が決まっていった。2009年9月準備開始、10月25日から11月4日の撮影。1年のリハビリ生活と1年の始動期間を経て久々に現場を仕切る吉田と、プロとして増々ひっぱりだこの役者たちがともに過ごした撮影現場。混乱を極めたに違いない。クランクアップ後、編集、仕上げを経て、2010年1月31日完成した。撮影の南秋寿の希望で、撮影機材は キヤノン「EOS 7D」、記録メディアは「サンディスク エクストリーム・プロ・コンパクトフラッシュ 64GB」を採用した。被写界深度とシフトレンズを使用して、ユリ子が自分の世界観にひたっていくさまを表現してみたいと思ったという。機動性、高感度、設定を瞬時に変更できることなど様々な側面で助けられた。

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